#6 母の日の由来

本日は母の日。あたしも毎年母にカーネーションを渡している・・なんてキラキラしたエピソードを描きたいが、本当は何もしていないのだ。世間は、母を祝うムードになっているが、あたしの家は誰も気にしない。多分、父の誕生日が5月3日で、五日後に またお祝いムードになるのがめんどくさいからだろう。あぁ、あたしのこのズボラさは、この人たちの血からできているのだろう、なんて思う今日この頃

・・・というわけで、みなさんは母の日の由来をご存知だろうか?
時は遡りに遡り、場所は昔のアメリカ。そこに、アンという一人の女性がいた。アンはすくすくと育ち、20歳の時に結婚した。アンもたくさんの子宝み恵まれ、13,4人の子供を産んだ。だが、当時の流行り病のせいで、成人できたのはたった4人となってしまった。子を死なせてしまった喪失感に憤りを覚えた彼女は、病気と幼児死亡率を下げるべく、各家庭への助力と教育のために、公衆衛生運動団体を設立した。その団体で、色々と活動するわけだが、そんな中アメリカ南北戦争が勃発した。アンは、その戦争で負傷した兵を南北関係なく、兵士の手当や看病を行い、戦後は、火種がくすぶっていた南北を結びつける活動を行い、アメリカの平和活動に大きく貢献した人物だ。
そして、アンナの死後、娘であるアンが、当時のアンナの仲間と集会を開いたのだ。そこで、母の好きなカーネーションを参加者に配り、追悼式を行ったのだ。そんな母の命日を、「母の日」として、アメリカ全土に広めたのが、由来だとされている。そんな中、クリスチャンだったアンナの影響もあり、日本にも貴族のクリスチャンにも広まっっていたが、一般的には広まることはなかった。

日本に広まったのは、戦後の沖縄からだ。1947年、沖縄は日本の領土と呼ぶのか、アメリカの領土と呼ぶのかいささか難しい時期だった。ただ、アメリカ軍が沖縄を占領していた。物資が少なく、貧しかった沖縄の子供達は、アメリカ軍からご飯や物資を盗んでくるという事態が多かった。そんな中、アメリカ兵は、「母の日」記念日事業開催項目という命令を出したのだ。中身としては、母を労うようその日は働かせないで家事を分担して行うことや、母同士が集まり教育に関しての情報交換を行うことであったり、盗みやいじめを行う子をしっかりと教育することが明記されていた。そこで沖縄で母の日が行われ、全国に広まったとされている。

・・・てなわけで、いろんなサイトや文書をみてまとめたんだけど、真偽が気になる方は自分で調べて欲しい。これに、もう一つおもしろい話があって、母の日を広めた張本人のアンは、広めたあと母の日撲滅運動を行なっているのだ。母の日にカーネーションを送ったりすることが、プレゼントを送ることに発展したりと、商業目的の目的になり、本来の意義を果たせず、怒っちゃったからだ。(笑)

いろんな出来事にも、歴史が存在して調べてみると面白いのだけど、いままでも残っている文化には、商業目的や人間の黒い部分も見えてくるのだ。先日書いた記事にもある生徒会の話だが、あれはマッカーサーが日本伝えたなんて話もあるのだ。みなさんも、いろんな歴史というか本質というか元ネタを調べてみてはいかがでしょうか?

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